バレンタインもらって、いくらって聞かないですよね。交換と与えるを考え直すことができます。

しろめたさの人類学読書
しろめたさの人類学
スポンサーリンク

本のタイトル

『しろめたさの人類学』
松村圭一郎(著/文)
発行:ミシマ社


【本の紹介】

市場、国家、社会…
断絶した世界が、「つながり」を取り戻す。

その可能性を、「構築人類学」という新たな学問手法で追求。
強固な制度のなかにスキマをつくる力は、「うしろめたさ」にある!
「批判」ではなく「再構築」をすることで、新たな時代の可能性が生まれる。

京都大学総長・山極壽一氏推薦!

世の中どこかおかしい。なんだか窮屈だ。そう感じる人は多いと思う。でも、どうしたらなにかが変わるのか、どこから手をつけたらいいのか、さっぱりわからない。国家とか、市場とか、巨大なシステムを前に、ただ立ちつくすしかないのか。(略)この本では、ぼくらの生きる世界がどうやって成り立っているのか、その見取り図を描きながら、その「もやもや」に向き合ってみようと思う。
――「はじめに」より

【本の目次】
はじめに
第一章 経済――「商品」と「贈り物」を分けるもの
第二章 感情――「なに/だれ」が感じさせているのか?
第三章 関係――「社会」をつくりだす
「社会」と「世界」をつなぐもの
第四章 国家――国境で囲まれた場所と「わたし」の身体
第五章 市場――自由と独占のはざまで
第六章 援助――奇妙な贈与とそのねじれ
終 章 公平――すでに手にしているものを道具にして
おわりに 「はみだし」の力

【本を読んだ感想】

 吉川&山本コンビの本で紹介されていて、積んでいたのを思い出した本がこれです。

 贈与と交換の違いからスタートし、日本とエチオピアを比較(著者はエチオピアでフィールドワークを行っている文化人類学者です)することで、自分の足元からの社会の再構築を考えようとする本です。

 コンビニでチョコを買ってお金を払う(交換)のは普通なのに、バレンタインにチョコをもらった男性(贈与)が「ありがとう。いくら?」と訊く(贈与ではなく交換として扱う)と失礼に思われるのは何が違うのか?

 買ったチョコレートの値札を剥がし、わざわざ包装したりして『贈り物』を演出しなければならないのは、何故か。

→経済/脱経済の区別が人と人の関係を規定するから。

 そこから、物乞いを見たときに普通のこととしてお金を与える(エチオピア)のと見なかったことにする(日本)ことの違いへと話が繋がります。
 日本では、日常の便利さが向上するなかで、多くの部分で「交換」が通常の態度となった(電車の座席に確実に座りたいなら指定席料金を払う、とか)ため、『物乞いとの間に「交換」が成立しないから何も与えない』ことが普通になる。


でも、今の立場にいるのは自分が努力した結果であるにも関わらず、持っている自分と持っていない相手との間の格差にうしろめたさを感じてしまうのも確かで、このうしろめたさを「交換が成立しないから」という理屈で隠してしまう現代の日本の都市(実際、物乞いとかは見かけない)では、見えなくなった格差はさらに広がってしまう。

 自身の感じたうしろめたさを認め、うしろめたさを解消するために相手に「与える」ことで、相手とのつながりが出来るし、依然として格差はあるにしても、社会の在り方を少しでも変えることが出来る。

 うまいなあ、と思うのは、「『こう』でなくてはならない」「『これ』は間違い」と断言せずに自身の考えはあくまで1つの在り方、というスタンスとしてまとめられているところでしょうか。にも関わらずある一定の共感として考えさせられる。
 別のことをやりながら読んだので、読み損ねている部分もあると思いますが面白い本です。またそのうちちゃんと再読したい。

私はどちらかというと「交換」を主としてしまう人間ですので、違う視点から考え直すきっかけしても良さそうです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました